相模川で拾った水天宮の守札
どんな伝承か
相模川を東に渡り、現在の茅ヶ崎市に入ると、旧高座郡柳島村の事例がある。慶応三年十一月三日、同村の名主藤間善五郎は須賀村へ行く途中、相模川で水天宮の守札を拾い、五日になってこれを祀った。これが茅ヶ崎の最初である。十一日の朝には自分の新宅で津島牛頭天王の札を見つけ、神棚に捧げて香を焚き、翌十二日には僧を請じて読経した。十四日の夕方には日光山開運大黒天の御影札が空中より降り、庭前の楓の葉にあるのを得た。十五日には水天宮・八幡宮・大黒天の三神を一つの祠に祀り、村中の老若に酒、子供らに赤飯を振舞っている。
原典より
同村名主藤間善五郎は、十一月三日に須賀村へ行く途中に、相模川で水天宮守札を拾い、五日になって祀った。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。