子の懐の神名紙に始まる藤沢宿の騒ぎ
どんな伝承か
藤沢宿の騒ぎは、本町の堀内家に伝わる絵巻「神仏御影降臨之景況」の絵ことばによると、慶応三年十一月六日ごろ、宿の蒔田家の子どもの懐に神の名を書いた紙が入っていたことに始まった。続いて天照皇太神宮や鹿島神宮の札、さらには仏像までが降り、十日には堀内家にも御嶽と大山石尊大権現を描いた絵が降りた。降下のあった家は喜び、降らない家では神に詣でて降下を願うほどになった。やがて老いも若きも浮かれ出し、華やかな衣装で舞い、三味線を鳴らし、裕福な家の前には酒樽が据えられて振る舞い酒や餅撒きがあり、貧しい者への施しも行われた。
原典より
まず絵ことばをみると、藤沢では十一月六日ごろ、同宿の蒔田家の子供の懐中に神名を記した紙が入っていたことから始まる。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。