大入道が焼いた大御堂と弁慶の鐘
どんな伝承か
昔、藤井には大御堂という実に大きな構えの御堂があり、侍を置いて百二十万石を領し、大きな勢力をもっていたという。ところが平清盛の反感を買って攻められ敗れ、その際に火の衣を着た大入道が現れて火焔を吐き本堂に火を放った。その火で堂は七日七夜燃え続けてついに焼け落ち、まもなく清盛はこの悪業の報いで祟りにあい病死したと伝わる。焼け跡に来た廻国修行中の弁慶が、転がっていた梵鐘を力自慢に担ぎ出して筑波山を越えようとしたが、大岩を七度戻っても越えられず鐘を捨てた。以来その岩を弁慶の七戻りの岩と呼ぶという。
原典より
その際、火の衣を着た大入道が現れて火焔を吐き本堂に火をはなったという。—— 壬生町史 民俗編――伝説(壬生町(編)・壬生町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
壬生町史 民俗編――伝説(壬生町(編)・壬生町史)
『壬生町史 民俗編――伝説』は、壬生町史民俗編のうち昔話と伝説の章を収めたものである。町史編さんの調査で町内の古老から集めた昔話を方言を生かして再話し、話者名を添えて動物昔話・完形昔話・笑い話・世間話に分けて並べる。伝説は吉次の墓・親抱きの松・大御堂などを動植物・歴史上の人物・塚と渕・神仏・地名に分け、地元の伝承に『郷土誌』『壬生領史略』などの文献からの引用を交えて載せ、一部の話に解説を付す。