頼朝が美女木に立てた下馬札
どんな伝承か
源頼朝は弟の義経を討ちに向かう途中、美女木でひと休みし、ここに立ち寄った証しとして下馬札を立てたという。それからは、殿様であってもこの札の前を通るときは、馬やかごから降りて歩かなければならなかったと伝わる。美女木八幡社の八幡宮碑には、頼朝が奥州へ発つ夕べにこの地に泊まり、夢で八幡の神のお告げを受けて鶴岡八幡を移した社を建て、戦勝を祈ったと記されている。
原典より
その後、殿様などがこの下馬札の前を通るときは、馬やカゴから降りて通り過ぎなければならなかったという。—— 戸田市史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
戸田市史 民俗編
『戸田市史 民俗編』は、戸田市の市史民俗編から、第三節「伝説」だけを収めたものである。美女木・新曽・上戸田・下戸田・下笹目・惣右衛門の話者が語った、源頼朝の奥州征伐にまつわる美女木の地名のいわれ、下笹目の聖釜のヌシとカッパ、荒川に身を投げた女の地名、美女木八幡の鐘、弘法大師の石芋や弘法清水などを収める。説明伝説・歴史伝説・信仰伝説を広くとり、村・ホラ、石・岩、水、塚、祠堂、その他の六つに分け、各話の終わりに話者の地区を記す。