遺骸を運んで築いたという頼政塚
どんな伝承か
本堂の裏手の山中に墳が一基あり、代々これを頼政塚と呼び伝えている。かたわらの藪には矢野竹が生え、この地を『ぬえ野』と名づけた。ここに生えた二股の竹を頼政が取って矢に矧ぎ、常に秘蔵していたところ、仁平三年四月に鵺という化鳥を射よとの勅命があり、その矢で射たのだという。治承四年五月二十六日、宇治平等院で頼政が自害する際、家の子の下川辺蔵三郎清親と渡辺唱に遺言し、唱が遺骸を高松へ運んであみだ院のかたわらに塚を築き、石槨に納めたと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第8巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第8巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全133話(滋賀・京都・兵庫=近畿)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。