百姓其心得尤なる事
どんな伝承か
浅間山の噴火で上州・武州の数百か村が降砂と泥流に見舞われ、著者が復旧普請の奉行として村々を回ったときの話。厩橋領大久保村の者たちは、利根川の三分川・七分川と呼ばれる埋まった流れの掘り直しや、天狗岩の用水路の浚渫に人足を出していた。近郷から数万人が集まる中、十歳ほどの子どもが乳母らしい者に付き添われ、ざるで土を運んでいた。掛りの役人が子どもなら帰らせてよいと言うと、乳母は、主人の言いつけで出している、村中が普請に出ているのに幼いからと遊ばせては、天下の恵みも人足の苦労も知らぬ者に育つと案じてのことだと答えた。役人も著者も感心し、その子に菓子を与えたという。
原典より
年の頃十う斗りの小児にざるを為持土を為運、乳母やうの者小僧など召連たれば、「如何なる者」と尋しに、大久保村の内富民の子供の由也。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。