両国橋掛替の事
どんな伝承か
吉宗の治世に両国橋の架け替えがあったが、出来ばえにむらがあり、担当役人の不注意も重なって、係の役人は何度も交代させられた。町では今度もまた継ぎ目が合っていないなどと噂が立ち、それが将軍の耳に入ったのか、近く御成りの際にじかに見るので係の者も現場に詰めているようにとの命が下った。役人たちはどんなお咎めがあるかと気をもんだが、当日将軍は船を橋のそばに止めて検分し、よくできている、皆ご苦労であったとねぎらった。これを境に橋についての悪い噂はぴたりとやんだという。
原典より
其日にも相成ければ、御船を右場所に被留御覧之上、「宜 出来致し候。何れも骨折」之段上意有之故、いづれも一同難有存けるよし。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。