幾世餅の事
どんな伝承か
幾世餅はもともと浅草御門内の藤屋市郎兵衛が元祖だった。一方、橋本町あたりの小さな餅売り小松屋は、新吉原の遊女幾世を妻にし、毎朝両国橋で餅を売って評判をとり、やがて両国橋に店を構えて幾世餅の名で商った。昔なじみの客が暖簾を染めて日本一流幾世餅と掲げたので、藤屋が町奉行大岡越前守に訴えた。越前守は双方の言い分を認めたうえで、どちらも江戸一を名乗るなら江戸の入口がふさわしいとして、藤屋は四谷内藤宿へ、小松屋は葛西新宿へ移れと言い渡した。どちらも辺鄙な所へ移るのに困り、話し合って訴えを取り下げ、もとのまま商いを続けたという。
原典より
ふじ屋は四つ谷内藤宿へ引越江戸一の看板出して、小松屋は葛西新宿へ引越商ひを可致。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。