河原の高台にあった中島
どんな伝承か
上広瀬では、昔、信立寺と広瀬神社が建っていた場所が高台になっており、その周囲は入間川の河原であった。河原の中に島のように残る高台だったことから、そこを「中島」と呼んだ。現在ではこの地名は使われていないという。明治四十四年生まれの上広瀬の話者による伝えである。
原典より
昔、信立寺と広瀬神社のあった場所が高台になっており、まわりが入間河原だったのでそこを「中島」といった。—— 狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当))
『狭山市史 民俗編』は、狭山市の市史のうち民俗を扱う巻で、ここにはその「五 伝説・昔話・世間話」の部分が収められている。堀兼・入間・奥富・柏原・水富・入間川の各地区で古老の座談会と個別の聞き取りによって集めた話を、話者の地区・名・生年を添えて載せ、不老川や堀兼の井、影隠地蔵、キツネ、豪商綿貫家の話などを含む。伝説は水・動物・植物・地名・人物・塚・神仏・地蔵・妖怪変化など十項に分け、話ごとに[解説]を付す。