松山新田村の日待と萩に降りた札
どんな伝承か
遠江国松山新田村の「松山記」にはこうある。近村はみな御札が降って祭っているのに当松山へは降らず、村内が心安からず思っていた。そこで五郎兵衛方で日待をおこない、その費用は五郎兵衛が施行し、一同が浜で垢離を取った。日待に呼ばれて信心をすると、その夜、向かい座敷の庭に植えてある萩の上に皇太神宮の御札が降っているのを見付け、近隣の人々に知らせたという。御札の降らない村の焦燥が生んだ作為の例とされる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。