伊雑宮の御祓で決まった二夜三日正月
どんな伝承か
伊雑宮の御札が落ちた牛頭天王社は牟呂八幡宮の支配地だったため、宮司森田光尋はこれを重く見て、牟呂村上中下三組の庄屋に知らせ、惣代を呼び集めた。集まった惣代たちは宮司と相談し、御祓を八幡宮へ移して幟を立て、酒六樽を開くこと、そして「二夜三日正月」を厳しく触れ出すことを決めた。万事は文政の御蔭参りの先例にならうとされた。留記によれば、この間に御祓は三枚降っており、王西村と中村の二枚は通常の神事で納められたが、三枚目の伊雑宮の御祓を境に対応が一変したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。