御鍬祭りにならって祝った西羽田村の降札
どんな伝承か
慶応三年七月下旬、三河の西羽田村でお札降りが起こった。降ったのは伊勢皇太神宮のお祓であった。そのころこの地では「御鍬祭り」の百年祭が流行していたので、降札の祝いもそれと同じ形で行われることになった。村役人や惣代をはじめとして村の行事として神事を執り行い、御神酒や甘酒が出され、投げ餅や即興の狂言である俄などがあって大いに賑わった。伊勢皇太神宮ばかりでなくいろいろな札が降り、村ごとに豊饒を祈願する御鍬祭りと同様の祭りが催され、村送りの掛け踊りで伝播した。お札降りの祝祭は当初、一種の豊年踊りの形で広まったのである。
原典より
西羽田村では伊勢皇太神宮のお祓が降り、そのときは「御鍬祭り」百年祭が流行中であったので、それとおなじ形で祝うことになる。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。