六十余人で発った柳島村の礼参宮
どんな伝承か
柳島村の名主藤間善五郎の家に水天宮・津島牛頭天王・大黒天の札が相次いで降り、その祝いが村じゅうを巻き込んで広がると、慶応三年十一月十七日、善五郎の孫を先頭に、お礼参りとして伊勢へじかに参宮する計画が立てられた。六十人あまりが一団となって村を発ち、二十八日に伊勢に着いて内宮と外宮に参拝し、十二月九日に村へ帰り着いた。一家の慶事が村ぐるみの集団参宮にまで広がった例として、著者はこの出来事を紹介している。
原典より
藤間氏の個人的慶事は、村中をまき込むかたちに拡大されているが、ここでは十七日に善五郎の孫をはじめとし、礼参りとして直接に伊勢参宮が企てられ、六十余人が集団を組んで出発し、…—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。