家康の来訪で頼継寺から来見寺へ
どんな伝承か
利根町布川の来見寺は瑞龍山龍海院と号し、永禄三年に豊島紀伊守頼継が建てた寺で、はじめ頼継寺と呼ばれた。三世の日山和尚は三河岡崎の出で、徳川家康と旧知の間柄だったという。慶長七年、家康が鹿島社へ参詣する折にこの寺を宿所と定めて一日滞在し、日山和尚との再会を大いに喜んだ。家康は府川は絹川の下流だから布川と改めよと言い、ここで初めて貴僧に会ったのだから寺号も来見寺にせよと命じ、朱印三十石を与えて格式を上げたと伝わる。出立の際には裏の高台から景色を眺めて秋の空に布を晒す歌を詠んだといい、寺の過去帳には慶長九年に家康と秀忠が訪れ、朱印状や茶道具などを下賜されたことが記されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・大正)
大正十一年、寺田喜久(狂花)が編んだ『相馬伝説集』。茨城・千葉にまたがる旧相馬郡(利根川流域=小文間・守谷・布川・布佐・藤代・横須賀など)の名勝・旧蹟・伝説を、△印で項目立てして地誌的に網羅する。最大の主役は平将門で、守谷町の朝日御殿・桔梗塚・佛島・日秀の石井戸など将門伝説群、その妾とされる桔梗の前の伝説を収める。