御衣を焼く文間明神のオコロモカイ
どんな伝承か
利根町立木の蛟蝄神社(原典では蚊蠅神社)は罔象女神を祀り、文武天皇二年正月二十五日に創祀されて安田明神と呼ばれ、文間村にあるので文間明神とも称された。延喜式の神名帳を定める際、巡使が印旛郡から望むと広い波間に社を祀る孤島があり、地勢が蛟龍のようだったので社号を改めたという。九月十四日の夜には御衣祭という他に例のない祭礼がある。文武天皇の代から続くもので、明神の御衣を新しい衣に替えて古い衣を焼く。これをオコロモカイといい、夜明け前に行われ、参詣者は二十里四方から集まって翌朝帰るのが習いである。幕府の祭使松平信勝や高野充行が祭りを詠んだ歌も残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。