鶴殺しの冤罪で一家打首となった刑場跡
どんな伝承か
利根町押付新田は、鈴木佐右衛門景頼の子孫が鶴を殺したという冤罪により一家ことごとく打首になった刑場の跡と伝わる。景頼は布川城主豊島紀伊守の臣で、豊島家が天正二年に滅んだ後も敵に降ることをせず、帯刀を捨てて布川の北の荒蕪地の開墾に着手した。胸の底には主家再興の思いを抱き続けたが機会は訪れず、病床に伏したとき長男佐十郎を枕元に呼び、必ず農民のままで終わるな、時機が来たら豊島家の再興を図れと遺言して世を去った。刑場の跡は大正の今も共有地として紛擾が絶えず、おそらくその因縁だろうという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。