丑の刻参りで母の病を救った午助
どんな伝承か
押付新田の太郎左衛門の子午助は十五の頃から父の訓戒を胆に銘じて竹刀を握った。当時北方村に道場を開いていた御油の産の剣客田村利平に入門し、休まず通って目覚ましく上達した。江戸で修業せよと利平が添状を書いた矢先、母が病の床に就く。孝心の深い午助は立木の神へ丑の刻参りをなし、満願の日に神殿の前でぬかずくと、白髪の老人が現れ、母の病は重いが水鳥を食わせれば一命を取り止めようと告げて姿を消した。翌日、布川城下の池で水鳥を捕えて母に勧めると、母は日毎に快方へ向かった。伯父忠兵衛へ知らせようと裏口に回ると黒頭巾に大小を帯びた男がおり、杭を抜いて打ちかかると男は闇に消えた。それが群平とは知る由もなかった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。