生き埋めとなった船田義昌の塚
どんな伝承か
建武の昔、新田義貞は北条方から朝廷方へ転じ、関東勢二千余騎を率いて鎌倉へ攻め上った。その一番の家臣が、同じ上野新田の生まれの船田義昌である。越前藤島の戦で義貞が討死する際、義昌は郷里の妻子へ最期の様子を伝えよと命じられた。上野へ戻って始末を伝えたが再起の勢いはなく、鎧を捨てて農民となり、足利の勢力が近くて危ういため下野の卒島へ落ちのびた。堂ヶ島の畑でそばを刈っていた義昌は、馬で来た武者を追手と早合点して斬り殺す。刈ったそばは茹でると白い蛇のようになって食べられず、武者は鹿沼で敗れた落人だったと後に知れた。祟りを恐れた義昌は塚を築いて自ら生き埋めとなり、念仏を唱えて死んだ。
原典より
<柳田 「行人塚」>○伝承地 栃木県小山市卒島 建武の昔、後醍醐天皇の頃、鎌倉の幕府に於いて、天皇にそむき大逆をおかしてゐた、北条高時を討てとの命をうけた楠木正成らとの戦が起こった。—— 日本伝説大系 第4巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第4巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第4巻』は、日本の伝説を話型ごとに集成した叢書『日本伝説大系』の一冊である。茨城・栃木・群馬の三県に伝わる伝説を、男体・赤城の神争いや榛名湖の入水譚、平将門・源義家・親鸞・弘法大師などの事跡、河童・竜宮・長者・石・姥捨・九十九谷などの話型ごとに収める。各項は代表となる伝承地の話を掲げ、〔類話〕に各地の聞き書きを伝承者名や出典とともに並べ、〔文献〕に縁起・地誌などの古記録を抄出し、柳田・高木による話型名を添える。