四十八・スイトコ・マクライの由来
どんな伝承か
石見に帰った柿本人麿は、任地である角の郷の恵良の国府に赴いた。二、三年の後、里の井上という豪家の娘と結ばれ、これが世にいう恵良媛だという。井上の家のそばには柚の木が植えられ、方言で柚子をイズ、柚の木をイノキと呼ぶ。人麿の家のそばには柿の木を植えていたという。人麿はこの地に落ち着いて殖産に努め、とりわけ紙作りに力を注いだので、後の石見半紙が名高くなったのは人麿のおかげだと語られる。和銅二年三月十八日、人麿は四十八歳で亡くなり、その字を四十八と呼び、熱を逃がす透床を造った所をスイトコ、頭を冷やす石をマクライと称して、マクライという家に伝えられているという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第11巻』は、山陰の鳥取・島根両県の伝説を集めた日本伝説大系の一巻である。矮姫による穀物の伝来、大山の山くらべ、伯耆の白兎、雲州皿屋敷、七尋女房、牛鬼、隠岐の後鳥羽上皇などを、伝承地を明記した口承の例話で示し、類話と近世以降の文献を添える。「文化叙事伝説」「自然説明伝説」の部に分けて話ごとに番号を付し、凡例のとおり例話・類話・文献・参考の順に並べ、多くの話に高木・柳田による伝説名を添える。