国頭三座の霊山の涼傘
どんな伝承か
昔、国頭の三つの霊山の頂に君真物が新たに現れようとする年の八月か九月には、必ず赤や黄色の大きな涼傘が立ったと言い伝えられている。『琉球国旧記』によれば、涼傘はもと中国からの輸入品で、島で作り始めたのはずっと後のことだという。袋中の『琉球神道記』には、国頭の深山にアヲリというものが現れるのでその山をアヲリ嶽と呼び、五色に鮮やかで一山を覆い尽くすとあって、赤黄の傘とは書かれていない。アヲリが現れると村は首里へ急を知らせ、十月には神が降りて王宮の庭で歌い舞ったという。柳田は、古くはこの傘もコバの葉で張ったものと考えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。