幽霊退治をした福来少年
どんな伝承か
飛騨の木材産業界の代表的人物である横田米蔵の母いくは福来博士の叔母で、国府村半田区の路傍の草ぶきの家に住んでおり、著者はこの老婦人から福来友吉の幼少時代を聞いた。三歳頃に村芝居を一度見ただけで初めから終わりまで演じてみせ、納得するまで理屈をこねて大人を閉口させたという。六歳で高山町本町の松本家にもらわれたが読書ばかりして返され、九歳で家を出て国分寺の塔や縁の下に隠れ七日後に発見されたこともあった。十二歳の頃、高山町の山王神社の辺から江名子村へ越す峠に夕方幽霊が出るという噂が広まり、友吉は独り薄暗い森に入って正体を確かめ、白い着物を棒に吊るしていた町の悪童たちを取り押さえて誓わせた。
原典より
すると白いフワフワしたものが出てきたので、息を凝して近づいて見ると、町の悪童数人が白い着物を捧に吊して藪陰からニュッと出して、キャッと驚くのを喜んでいるのでした。—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。