飛騨をゆるがせた念写発見の騒ぎ
どんな伝承か
明治四十三年十二月二十六日に福来友吉が念写を見出すと、世の議論は真っ二つに割れ、飛騨の人々もその騒ぎに強い関心を寄せた。国府村広瀬町で書店を営む江馬城の主人は、福来が勝つか山川が勝つかで新聞は大変だった、と当時の熱気を振り返っている。著者は十六歳のころ、高山町えび坂通りに住む博士の甥、和田健造を訪ねて念写された写真を数多く見せてもらった。それをきっかけに、人の精神が持つ力の大きさへ一層ひかれていったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。