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悲恋に泣く美女

所在地岐阜県高山市
年代明治〜昭和(念写研究史)
登場山田さつ、町田多津、和田秀子、川上ちょう、福来友吉、福来友吉博士、福来を慕った悲恋の女性、福来友吉の妻、福来の姪・山田さつを知る人、和田秀子の友人、山田さつが慕った人
出典念写発見の真相

どんな伝承か

友吉が仙台の第二高等学校へ向かったころ、飛騨から外へ出るには草鞋で野麦峠を越えるしかなかった。笹が十年に一度実をつけ、飢饉の年によく実ったので、飛騨の人々は神の恵みの野麦と呼んで峠の名にしたという。信州へ働きに出る女工もこの峠を越え、病んだ娘が頂で飛騨を望んで息絶えた話も伝わる。十年ほど後、山田さつは友吉が東京にいると聞いて一人でこの道をたどり、小石川の福来宅近くに宿をとったが、友吉がすでに妻を迎えたと知って毒をあおった。命は取りとめたものの、震災で焼け出されて高山へ戻り、失恋の痛手で心を病んだまま独り身で生涯を終えた。

原典より

それから十年も経て、山田さつは福来友吉が東京の大学にいると聞いて、恋慕の情やみ難く、独りでこの道を辿って小石川の福来宅の近くに宿をとり、…—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))

『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。

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