義高を弔う梨の木御殿の伝承地
どんな伝承か
清水冠者義高は源頼朝の命により入間河原で討たれた。頼朝の妻北条政子は、義高を慕っていた娘の大姫の嘆きを思いやり、義高の霊を弔うため奥州道のほとりに梨の木御殿と呼ばれる建物を建てたと伝えられている。御殿がどこにあったのかは今では分からないが、梨の木という地名だけは入間河原の中に残っているという。
原典より
昔、清水冠者義高が源頼朝のため、入間河原で誅殺されたが、北条政子が娘の大姫の悲しみを思い、義高の供養のために奥州道の近くに「梨の木御殿」を建てたといわれる。—— 狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当))
『狭山市史 民俗編』は、狭山市の市史のうち民俗を扱う巻で、ここにはその「五 伝説・昔話・世間話」の部分が収められている。堀兼・入間・奥富・柏原・水富・入間川の各地区で古老の座談会と個別の聞き取りによって集めた話を、話者の地区・名・生年を添えて載せ、不老川や堀兼の井、影隠地蔵、キツネ、豪商綿貫家の話などを含む。伝説は水・動物・植物・地名・人物・塚・神仏・地蔵・妖怪変化など十項に分け、話ごとに[解説]を付す。