鐙がすれた道と鐙摺城の亀の前
どんな伝承か
頼朝は伊豆の流人時代も幽閉されていたわけではなく、相模や武蔵まで出歩くことができた。そのころ三浦大介義明を訪ねて葉山の森戸海岸を通ったとき、一族の城の大手へ登る道が狭く、馬の鐙が切り通しの崖にすれて通りにくかった。守りにはよいが普段は不便だとこぼす頼朝に、供の佐奈田与一が、鐙がすれるほどだから鐙摺と呼べばよいと答え、それが地名となって城も鐙摺城と呼ばれたという。また頼朝の愛人亀の前は、嫉妬深い政子に知られて鎌倉を逃れ、この城にかくまわれた。頼朝は森戸の遊覧や森戸神社への参拝を口実に、たびたび亀の前のもとへ通ったと伝えられる。
原典より
与一のつけた鐙摺という名が以後、ここの地名になり、この城を鐙摺城と呼ぶようになったという。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。