法隆寺様式で建った相模国分寺
どんな伝承か
天平十三年の詔を受け、海老名の相模国府にも勅使が下った。凶作と疫病で民が疲れる中、国司は郡司や里長を集めて費用と人手の割り振りに頭を悩ませたが、仏を祀れば災いから救われると信じて工事に取りかかった。国衙を挟んで僧寺と尼寺を置き、多くの国分寺が東大寺にならったのに対し、海老名の僧寺は一時代古い法隆寺の様式で造られたことが礎石の配置からわかる。著者は、東大寺の縄張りより早く着工したためだろうと推測する。高さ五十メートルに及ぶ七重塔をはじめ金堂や講堂などの礎石三十七個が確かめられ、両寺の敷地は約二万坪に及んだという。
原典より
ところが海老名の国分寺は飛鳥時代の創建である法隆寺の様式が採用されているのである。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。