尼の泣き水
どんな伝承か
天平年間、聖武天皇の命で相模国分寺と国分尼寺がいまの海老名に建てられた。尼寺の若い尼僧は、相模川で漁をする若者と恋仲になり、人目を忍んで河原や林で逢瀬を重ねた。ある夜、日に日にやつれる恋人を問いただすと、寺の伽藍が日を受けて川面に強い光を放つため魚が逃げ、不漁続きでこの地を去らねばならないと打ち明けられた。尼僧はもう悩むことはないとほほえんで別れ、その夜、国分寺は炎に包まれて伽藍はことごとく焼け落ちた。火を放った尼僧は捕らえられ、刑場で生き埋めにされたが、その場所からは水が絶えずしたたり続けた。人々は尼が地中で泣いているとして尼の泣き水と呼んだという。
原典より
弘法大師と水無川(秦野市・中郡西秦野町) 八八尼将軍と化粧井戸(横浜市南区井土ヶ谷上町) 九六—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。