海神を鎮めた弟橘姫の入水
どんな伝承か
相武の国を平定した倭建命は、総の国へ渡るため走水に仮の御所を構え、一か月ほどかけて船を集めた。いざ船出という時に海が荒れ、仮御所の裏山に征旗を立てて祈っても風はやまない。兵の間では、命の乱暴を海神が許さないのだとささやかれ、逃げ出す者も出た。すると妃の弟橘姫が、自分が身代わりとなって海神を鎮めると申し出て、海上に菅や皮や絹の畳を幾重にも敷き、その上に立ったまま沈んでいった。姫は火攻めの野で気づかってくれた夫を思う歌を残して波間に消え、海は静まって軍勢は房総へ渡ったという。旗を立てた山は今も旗山と呼ばれている。
原典より
ひきとめようとする建をふり切って弟橘姫は、海上にスゲの畳八枚、皮の畳八枚、絹の畳八枚を敷いて、そのうえに立たれたまま海中に沈んでいかれたという。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。