天野景直が勧請した清水の秋葉山
どんな伝承か
駿河清水の秋葉山は、徳川氏に犬居の地を追われた天野氏が三尺坊を勧請したことに始まるという。天野氏はもと武田方で、人質として送られていた小四郎景直が穴山信君の治めるこの地にいた。武田氏が滅んだのち景直は修験の行者となって三尺坊を勧請し、峯本院の初代日光法印となった。今も峯本院・栄松院・福昌院の院主はみな天野氏である。宝暦十三年には遠江の秋葉寺と寺社奉行所で本家争いをし、秋葉寺側の文書は勝訴と記すが、その後も清水の秋葉山は山号を名乗り、三尺坊の守札を配り続けた。
原典より
この三尺坊の神輿は鈴鹿山脈の手前で京都所司代によって阻止された。—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。