観音岩の洞窟に暮らした無籍の人びと
どんな伝承か
栃木県塩谷町佐貫の鬼怒川べりにそそり立つ観音岩は、高さ六十メートル余りの岩壁に平安時代末の大日如来像が刻まれ、観音像と誤られて名がついた。岩の根元には川の浸食でできた洞窟が二つあり、発掘では縄文から近世までの遺物が出て、人が長く暮らしてきたことがわかった。須藤勝次さんは大正五、六年ごろから二、三年、無籍の家族七人で大きいほうの穴に住んだ。当時は二十人から四十人が藁と筵で雑居し、三味線弾き、馬の皮なめし、ササラ作りなども寝起きしていたという。一家は大正八、九年ごろ、船生の蟹沢へ移り、山持ちの須藤家の山番を務めて姓をもらい戸籍を得た。洞窟の住人は昭和二十年代後半に姿を消した。
原典より
最後の穴居集団だったか「乞食岩」という地名もある木賃宿は田舎にも多かった第6章 悲劇を伝える二つの小地名谷川岳南麓に暮らして狩猟罠「オス」を仕掛けていたころ誤ってオスに入り圧死した旅芸人自ら仕掛けたオスに敷かれて死ぬ—— 村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・2018年(平成30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・2018年(平成30年))
『村の奇譚 ― 里の遺風』は、民俗研究者の筒井功が平成三十年に著した民俗探訪記である。修験の里の石室、石風呂と焼き石湯、山中の贋金づくり、箕作りの集団や天幕部落、岩窟に暮らした非定住民、猿と猟師、氷室と風穴、産屋、墓制、安倍晴明の墓、狐憑きと犬神など、各地の村に残る習俗と伝承を、聞き取りと文献の両面からたどる。全十三章で、昭和三十年前後の高知市での見聞から説き起こし、「おわりに」では別の出版社で刊行が見送られた経緯を記す。