天皇の棺を担いだ八瀬童子の村
どんな伝承か
八瀬は比叡山北西麓の、やや広い範囲を指す地名で、現在の住居表示では京都市左京区の八瀬秋元町・八瀬近衛町・八瀬野瀬町・八瀬花尻町の四地域に分かれている。八瀬は妙な村で、大正十五年十二月二十五日に崩御した大正天皇の大葬の際、ここから百二十人ほどが出て、棺を載せた輿をかついだ。貴人の輿をかつぐ人びとを駕與丁といい、八瀬の住民が朝廷の駕與丁を務めるようになったのは後醍醐天皇の時代とされる。彼らは成人しても童髪のままで「八瀬童子」と称し、自らを「鬼の子孫」だと名乗っていた。
原典より
八瀬は窯風呂の里でもあったいまも入浴できる重要文化財漂泊民の入浴法定住民も焼き石湯を沸かしていた第3章 山中深くで贋金をつくるある漂泊民一家との出会いキャバレー勤めから再婚へ帰郷と夫の急死—— 村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・2018年(平成30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・2018年(平成30年))
『村の奇譚 ― 里の遺風』は、民俗研究者の筒井功が平成三十年に著した民俗探訪記である。修験の里の石室、石風呂と焼き石湯、山中の贋金づくり、箕作りの集団や天幕部落、岩窟に暮らした非定住民、猿と猟師、氷室と風穴、産屋、墓制、安倍晴明の墓、狐憑きと犬神など、各地の村に残る習俗と伝承を、聞き取りと文献の両面からたどる。全十三章で、昭和三十年前後の高知市での見聞から説き起こし、「おわりに」では別の出版社で刊行が見送られた経緯を記す。