深葉山を裸にした七端の大狼煙
どんな伝承か
西南の役のとき、薩摩軍から狼煙を上げる役を頼まれた今村七端は、深葉山の雑木を切ることになった。銃を向けられるのが恐ろしい七端は寺の鐘で村じゅうの年寄りや子供を呼び集め、木の枝一本でも持って来れば十銭払うと約束したので、山はたちまち裸になり、村人総出で山焼きのような大狼煙を上げた。この機転を見込まれ、間者として薩摩の陣へ連れて行かれたが、根が臆病な七端は何をさせられるかと気が気でなく、仮病を装ってたらいで逃げ戻ると、屋敷の大井戸の中ほどに吊り台をこしらえ、薩摩軍が負けて退くまでそこに潜んでいたという。著者が母から寝物語に聞かされた伯父の話である。
原典より
みんなして山焼きのような大ノロシをあげた。—— 私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年))
『私の心霊術』は、長田幹彦が昭和三十年に著した心霊研究の随筆集である。死後に残る霊や地獄・極楽をめぐる考えを述べ、熊本の家系や安達謙蔵との交わり、東京放送局の文芸顧問だったころの回想、霊友会など戦後の新興宗教への批判、前著『霊界』への反響と自らの信仰を語る。「心霊科学の来世観」「霊界の構造」「ぼくの信仰」などの章からなり、末章「ある霊媒の生態」では霊媒服部との実験とそのトリックの顛末を描く。