豪農から小前へ移った田村村の降札
どんな伝承か
田村村では慶応三年十月八日を皮切りに、津島牛頭天王や洲原大神宮、観世音の札が降りはじめ、十三日には薬師如来、十四日には豊川稲荷が五軒、秋葉山が三軒というふうに、日を追って各戸に集中した。十二月七日までに数は四十六枚に達している。二十四日には愛宕山大権現と十一面観音が新井敷の家に降り、当主はわざわざ飯田まで買い出しに行って酒と米をふんだんに費やし、盛大に祝った。初めは村の豪農の家ばかりに降っていたのが、後半には持ち高五石に満たない層へと移っていったのが、この村の特徴である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。