御鎌祭りと重なった西羽田村の降札
どんな伝承か
慶応三年七月二十二日、西羽田村(現豊橋市)にお札降りがあった。折から御鎌祭りの一〇〇年祭が流行中であったので、降札もそれといっしょに祝うこととなり、御神酒や甘酒が出され、投げ餅やにわか(即興の演し物)があって、大いににぎわったのであった。これに先立つ七月十四日には近隣の牟呂村で騒ぎの初出があり、草間村・野田新田・吉田宿萱町へと広がっていた。三河吉田とその周辺地にはじまったこの騒ぎは、やがて東海道ぞいに東と西の両方向へ伝播していく。
原典より
さらに二十二日には西羽田村(同)にお札降りがあり、折から御鎌祭り一〇〇年祭が流行中であったので、それといっしょに祝うこととなり、…—— 長野県史 通史編 第6巻(長野県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。