日本アルプスの頂で群猿に囲まれる
どんな伝承か
餓鬼平を過ぎ、古木の茂る山頂を上り下りするうち、著者は最も見晴らしのよい一角を見つけた。荷を木の根に下ろして苔の上に腰を据えると、立山と前剣が眼前にそびえ、見渡す限りの無人境が白い雲海に覆われていた。心地よさに木の根を枕に横たわり、一時間余り眠ったころ、冷たい風に目を覚ました途端、頭上でけたたましい叫び声がした。見上げると、数十匹の猿の群れが枝を飛び交って騒いでいる。杖を銃に見立てて脅しても石を投げても効き目がないので、枯れ枝を集めて焚き火をし悠然と一服すると、猿たちは火を恐れて瞬く間に姿を消した。著者は日暮れ前に断崖を駆け抜け、鉱山の舎宅に駆け込んだ。
原典より
意外の呼喚に驚いて思はず兩手を耳に押當てて聲ある方に眼を放てば、驚いたり驚いたり余が頭上には数十匹の群猿が人珍らしげに騒いて居る、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。