切腹を賭した新堀の通水
どんな伝承か
牛沢の地方は水利が悪く、十四か村が畑作で暮らしていた。郷頭の佐原光重は水源を探したが見つからず、白雪の中を白狐が鶴沼川から西北へ走る夢を三夜続けて見た。夢のとおり雪の上の足跡をたどると、自分の足跡は川の形になっていた。光重は病に倒れ、明暦二年の正月下旬に子の光忠へ開削を託した。光忠は自費で人夫を雇って着工し、藩主保科正之から人夫一万人を与えられたが、工事の途中で反対する農民二人と顔役一人が殺された。完成した堀は誰の目にも川下のほうが高く見えたので、通水式の日、光忠と普請奉行二人は短刀を三方に載せ、水が来なければ切腹すると告げた。やがて水が流れて来て、三人が座した場所に腹切壇が築かれた。
原典より
むかし牛沢部落の地方は、水利の便が悪くて田の稲がみのらず、やむなく畑にして麦や栗などを作り、それを常食としている十四か村があった。—— 会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史)
『会津坂下町史 1(民俗編)――伝説』は、会津坂下町の町史民俗編のうち、第二十章「伝説」を収めたものである。高寺山の黄金千杯、佐原・栗村の水田開発、交通路、空也・徳一、神仏、地名、雨ごい、狐、笑い話・逸話、妖怪変化、部落の起源、人物にまつわる町内の伝説を集める。冒頭で伝説の意義と自然・歴史・信仰の三分類を述べ、主題別の節に分けた各話の末尾に話者と、井関敬嗣・薄嘉明ら執筆者の名を記す。