高寺山に黄金千杯
どんな伝承か
中国は梁の時代の僧・青岩が会津に入り、紫雲のたなびく山に庵を結んで仏法を説き、やがて寺を建てて石塔山恵隆寺と名付けた。里人は高い所の寺と呼び、いつしか山の名が高寺山となった。寺は七堂伽藍が立ち並ぶほど栄えたが、東の恵日寺と争って大敗し、堂塔はことごとく兵火に焼かれた。麓の村々には「立てば前すわればうしろ山吹の黄金千杯朱千杯三ツ葉うつぎのしたにある」という歌が伝わり、寺が滅びるとき黄金と朱を埋め、目印に三ツ葉うつぎを植えたのだという。明治の末、逃げた馬の足に朱が付いていたのを見た男が毎日山を捜したが、ついに黄金は見つからなかった。
原典より
それは今から、一千余年の昔の話である。—— 会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史・自治体史(民俗))
福島県会津坂下町の自然伝説・歴史的伝説・信仰伝説を網羅する。