疫病の村へ導いた地蔵の化身
どんな伝承か
日蓮の六老僧の一人日興の弟子である日尊は、三十六か寺の建立を誓願して嘉元二年の春に奥州へ入り、会津若松で実成寺の基礎を開いて出羽へ向かった。熊倉村まで来たとき、小さな小僧が追いかけて来て、村に悪病が流行しているので助けてほしいと涙ながらに願った。日尊が案内させて十二キロほど歩き、道ばたの小さな堂のわきを通り抜けると、小僧の姿が消えていた。堂を訪ねると堂守は小僧はいないと言い、堂内の地蔵の前の経机には、先ほど小僧に渡した振り分け荷物が紐のまま載っていた。日尊は感激して悪病退散の祈祷を続け、流行病は跡形もなく消えた。村人は宗旨を改め、寺号を本光山妙福寺とした。その部落が細工名である。
原典より
それは今から七百年も前のこと、日蓮上人の六老僧の一人、日興上人の弟子に日尊という僧があった。—— 会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史)
『会津坂下町史 1(民俗編)――伝説』は、会津坂下町の町史民俗編のうち、第二十章「伝説」を収めたものである。高寺山の黄金千杯、佐原・栗村の水田開発、交通路、空也・徳一、神仏、地名、雨ごい、狐、笑い話・逸話、妖怪変化、部落の起源、人物にまつわる町内の伝説を集める。冒頭で伝説の意義と自然・歴史・信仰の三分類を述べ、主題別の節に分けた各話の末尾に話者と、井関敬嗣・薄嘉明ら執筆者の名を記す。