伊藤刑部が背負ってきた動かぬ地蔵
どんな伝承か
鎌倉時代、原と呼ばれる下石戸上・下石戸下の地を切り開いた一人とされる伊藤刑部は、伊豆の出で、地蔵像を背負ってこの地へやって来た。ところが地蔵堂のあたりまで来ると、どうしてもそこから先へ進めなくなった。そこで背の地蔵像を下ろし、刑部自身もこの地に住み着いたという。地蔵堂のあった修福寺は明治四年に廃寺となった。今でも栄保育所の北側あたりからクリカラ不動にかけての谷は、刑部の名をとって刑部谷と呼ばれている。
原典より
たまたま、地蔵堂付近にさしかかると、どうしてもその先へ進むことが出来ず、地蔵像をおろして、この地に住み付いたと云う。—— 北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史)
『北本市史 第6巻(民俗編)――伝説』は、北本市の市史民俗編のうち、第十一章「伝説・世間話・昔話・諺」の冒頭部分である。章の「はじめに」で四者の性格を説いたのち、第一節「伝説」に蒲桜・龍灯杉・一夜堤や多くの塚の伝承、送りオオカミ・河童・禁忌動物、おたきあげ・十日夜の由来など四十二項目を収める。多くの項目は見出しに石戸宿・高尾などの伝承地を添え、話者名や「埼玉県伝説集成」などの出典を▽で示す。(197字)