相馬八十八ヶ所を開いた光音禅師
どんな伝承か
光音禅師は信州佐久郡海尻の生まれで、父は井出三左衛門といった。十三で江戸へ出て呉服商伊勢屋庄左衛門のもとで十七年働き、主人の頼みで常陸に下って渡辺家の傾いた家産を四年で立て直す。礼金の一部だけを受けて取手宿に移り、伊勢屋源六と名乗って木綿や乾物を商い、店を三つに増やすほど繁盛させた。信心厚い彼は店を従者に譲って大鹿山長禅寺に入り、幼堂禅師の弟子となって観覚光音の法号を受ける。鈴を鳴らして利根川の南北を托鉢して観音堂を再建したのち、高野山や四国の霊場を巡って土砂を持ち帰り、相馬の寺々に納めて相馬八十八ヶ所を開いた。晩年は琴平神社境内の庵で過ごし、天明三年十二月十七日に七十三歳で没した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。