将門の子若松にちなむ御出子の地名
どんな伝承か
御出子の城址は相馬家の城主の居城で、記録によれば慶長十五年に相馬大内、元和七年に相馬求馬、元和八年に相馬主隠と三代が相次いで没し、所領は公儀に召し上げられて絶えたというが、詳しいことは分からない。御出子は田安家の所領で石高二十一石、この地に妙見八幡がある。千葉良文が領地を巡検した折に建てたもので、地名の由来は、将門が中村佐市の娘を妾として生まれた若松という子が、五歳で良文に目通りしたとき容貌が優れていたので「ああ御出子」と言われたことによるという。若松はのちに鎌倉の村岡に移り、村岡五郎と呼ばれた勇者だと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。