土倉に隠れた義仲の遺児と文珠堂
どんな伝承か
木曽義仲の没後、その遺言により仁科城主仁科盛遠が、手塚光盛の子牛王丸、樋口兼光の子熊九行時らとともに、義仲の二子力寿丸を擁して現在の土倉へ隠れ住み、力寿を養育するとともに一堂を建てて文殊堂と称した。その時、里人は力寿を木曽殿と呼んだという。のちに鎌倉幕府に知られることを恐れた盛遠たちは、力寿を裾花川の上流三里ほどの木曽殿アブキや大野田に移住させ、力寿が成長すると自分の娘を娶らせて信濃守義重と名乗らせたと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第7巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第7巻』は、愛知・静岡・岐阜・長野の四県の伝説を集めた伝説資料集の一巻である。笠寺観音や日本武尊から天狗・山姥・八百比丘尼・夜叉ヶ池、石や池や塚の由来、白米城・一夜山まで九十七の項目を立て、口承を中心とする伝承を収める。各項目は伝承地を明記した例話を冒頭に置き、『日本伝説名彙』などの対応する題名を添えたうえで、〔類話〕〔参考〕〔文献〕を続けて近世以前の記録の原文まで示す。