的な石と霜宮の火焼殿に籠る少女
どんな伝承か
『肥後国誌』下巻阿蘇郡の記事である。的な石は往還のほとり、的な石山の中にある。里の説では、昔、大明神がこの石を的として蛇の尾山から矢を放ったといい、今も石には鏃の痕が残るという。火焼殿は本社から東へ一町ほどの所にあり、毎年七月七日に本社から遷座して九月八日に戻る。その間、十五歳に満たない少女が火焼殿に入り、日夜絶やさず火を焚く。火が弱ければ寒霜が早く降りて五穀が実らないという。里の説では、大明神の使臣であった鬼八法師が矢取りに疲れて足の指にはさんで矢を投げ返し、怒られて高森まで逃げ、岩を穿って天に昇り、しきりに霜を降らせたので霜の宮として祀ったと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。