三百町を知行した景清の来日向と死
どんな伝承か
言い伝えでは、景清は宮崎郡の北方百町、南方百町、池内村百町の合わせて三百町を知行し、文治二年十一月にこの国へ来たという。家臣として大野・黒岩・高妻・松半・山野・旧橋重長・有半の諸氏を引き連れて来たと記す。建保二年八月十五日に真幸の霧島山へ詣で、その山の池のほとりで病死した。行年六十二歳で、遺骨をこの地に埋めたと伝えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。