明治帝崩御の夜に枯れた槻の巨木
どんな伝承か
伊藤窪の伊藤氏・中山氏一族の邸内に、径三メートル六十、周囲十メートルという槻(けやきの一種)の大木があり、枝が四方に繁茂して、その下に数戸が住居していたという。遠祖が資を王室に献じた忠誠にならい、明治六年に皇城が炎上した際も献納しようとしたが、時期を逸して果たせなかった。その後、明治大帝崩御の夜、この木は俄然すべての梢が萎縮して葉がしおれ、そのまま生を終えて、大帝と死を共にしたのだという。今もなお巨根が残っている。
原典より
伊藤窪伊藤氏中山氏一族の邸内に、経三m六十周囲十mの槻(けやきの一種)の大木があり、枝が四方に繁茂し其の下に数戸が住居していたという。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。