信玄の立石通りの目印という立石
どんな伝承か
穴山の東田圃に立石がある。地上高さ一メートルほどで、往昔は辺見路の一里塚ともいい、また元亀年中に武田信玄が信越地方を征服した際に往復した、いわゆる立石通りの目標とも言い伝えられている。現在はまた地名ともなっているという。原典は同じ「立石」の名が韮崎町上野山にもあり、そちらは元禄九年の銘のある石柱であることを併せて記している。
原典より
部落の北方、穂坂路沿いにあって、高さ六、七尺、中二尺ばかりの石柱で、もとは塚の上に建っていた。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。