新田義貞が北条勢を破った小手指ヶ原
どんな伝承か
小手指ヶ原は当時の埼玉県入間郡小手指村の一部で、越後・信濃・上野方面から鎌倉へ通じる鎌倉街道の要地にあり、見渡すかぎりの平野だったため、たびたび合戦の場となった。なかでも名高いのが元弘三年の小手指合戦である。五月八日に上野の生品明神で挙兵した新田義貞は兵を集めて南下し、九日には入間川の対岸に陣を張った。北条高時の命で桜田貞国が率いる六万余騎が十一日の朝に小手指ヶ原へ着くと、義貞は総攻撃を命じ、両軍は日暮れまで三十余合も戦って、新田方三百余騎、北条方五百余騎が討たれた。勢いに乗った新田軍は久米川、分倍でも戦い、二十二日には鎌倉で北条一門を滅ぼしたという。
原典より
既に此時氣負い立つて戦闘の命を待ちかねて居た新田勢は、この下知を聞いて我先にと堰を切った奔流のように忽ち入間川を押し渡り、敵陣目懸けて鯨波を作って押し寄せて行つた。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。