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鶴ヶ峰に散った重忠主従の奮戦

所在地神奈川県横浜市旭区鶴ヶ峰
登場北条義時、愛甲季隆、加治宗季、畠山重保、鎌倉勢の総大将、重忠を射た武将、重忠に討たれた武将、重忠の嫡子
出典行楽と史蹟の武蔵野

どんな伝承か

元久二年六月二十二日の正午ごろ、鎌倉へ向かう畠山重忠の一行が鶴ヶ峰に着くと、二俣川の方から血まみれの騎馬が駆けつけ、嫡子重保が謀反の汚名で討たれ、北条義時が三万余騎を率いて迫っていると告げた。老臣の本田親恒と榛沢成清は領地へ戻って籠城するよう勧めたが、重忠は退けば無実の罪を認めることになるとこれを退け、百三十余人で大軍に斬り込んだ。重忠は加治宗季らを討ち取って暴れ回ったが、物陰に潜んだ愛甲季隆の矢を脇腹に受け、夕方の申の刻に四十二歳で倒れた。残る将士も討死するか自ら腹を切り、一人残らず殉じたという。

原典より

流石武勇を天下に謳われ、その智略を一世に輝かし、德望四隣を壓服した名將重忠も、この深手の一矢に寸時も堪らず、哀れ四十二歲を一期として怨み深い鶴ヶ峰の一角に骸を横えることなつたのである。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))

『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。

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