春日部重行の新田義貞挙兵への参陣
どんな伝承か
武州新方の荘司であった春日部甲斐守実景は、七十六歳の高齢ながら三浦氏に味方して宝治元年の合戦に加わり、一族もろとも討死した。以来、北条氏に好感を持てなかった春日部氏は、内心に反北条の思いを長く抱き続けた。実景の戦死から八十六年後、ついに機会が訪れる。上州新田の豪族新田義貞が、朝廷から北条氏追討の令旨を受け、元弘三年五月に挙兵したのである。これを聞いた春日部氏は、祖先の恨みを晴らす好機と喜び勇み、実景の孫にあたる当主重行、一名時賢を先頭に、一族郎従を率いて義貞の軍に馳せ参じた。この戦は新田軍の大勝に終わり、北条高時一門は鎌倉に滅び、重行も戦功によって滝口左衛門尉に任ぜられたという。
原典より
之を聞いた春日部氏は、『イデ、祖先の怨みを報すべき好機到来!』・・・・・・と欣喜雀躍して、實景の孫に當る當主重行(一名時賢)を先頭に、一族郎從を以つて直ちに義貞の軍に馳せ参じた。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。