京で自刃した春日部重行の墳
どんな伝承か
南朝の忠臣春日部重行は、後醍醐天皇に仕え護良親王の令旨を奉じて春日部で挙兵したが、足利軍に敗れて延元元年六月三十日、京都の鷺の森で自刃した。四十三歳であったという。重行の長子家綱は父の遺骸を茶毘に付し、密かに武蔵国粕壁へ持ち帰って葬ったと伝わり、春日部氏の菩提寺『最勝院』の境内には、周囲二十余間の古塚と『贈従四位春日部重行公之墳』と刻まれた標柱、事蹟を記した『春日部御霊古墳之記』が今も残されている。
原典より
そうして、其時家綱が持ち歸つた重行の遺骨を埋葬した處だと傳えられる同寺の境内の古塚の前に立つた。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。